『 いろいろ な お話 』


あれこれ色々と、長くなりそうな話などを
こちらのページからまとめてご案内致します。

今の所、F1の話を中心にね。



「 日記じゃないけど、なんとなく書いて見た話 A」

2002,11.10


先日、ニュースステーションに佐藤琢磨選手がゲストで出ていた。
フジTV系以外の民放でF1の話をするのは大変珍しい。

ていうか、よっぽどの事が無い限り
ほとんど見たことが無い。

NHKでは時々扱ってるけど、
フジTV以外の地上波の民放でF1の話を聞いた事といえば、
中嶋さんの引退と、プロストの引退とセナの事故死くらいのモンだった。

まぁセナの話はちょっと別のレベルであるけれど…

その前に、Nステでの琢磨選手の話である。
久米さんがほとんど一般人の風情で
嬉しそうに琢磨選手と握手している写真が出てきた。

英国F3での成績の話や、25歳でデビュウという点で
「セナと同じ!」と、久米さんが言っていた。

初めてのスズカのファイナルでも
同じ7番グリッドであったというのは言われて気がついた。
ついでに黄色いマシンという点でも同じだったと言うのを付け加えてくれると…

色の話で脱線すると、
そりゃあもう、ナマで見るF1の美しさはたまったもんじゃない。
もちろんイメージとして、速いクルマほどキレイに見えるけど、
コレはシロウトの目だけでなく、
プロフェッショナルのカメラマンの方でも大概そのようにおっしゃる。

サラブレッドとよく似ている。
体重500キロくらいってのもそっくりだ。
いや、そんなんじゃなく、
速さの為だけにテンパっちゃえるだけテンパっちゃってる
という点でそっくりだ。

速さゆえに、ポキとンなっちゃい安いと言うのが
とにかくそっくりだ。

中嶋 悟さんもよく
「とんがったマシン」とおっしゃっていた。

琢磨選手の話。

セナと同じ!という点が幾つかあるのは確かだけど、
このデビュウシーズンを最初から見てたら
そうカンタンに無責任な事を…
とも、そりゃ思う。

セナはトールマンでデビューして、
その年の内にロータスへの引き抜きが決まってひと騒動あった。
初ポイントは確か2戦目だった。
モナコじゃ表彰台。
伝説の、幻の初優勝!?
などなど、この辺の話はウケウリなので
まるで見てきたような事は言えないけど。

琢磨選手のデビューイヤーをこれと比べるのはどうよ。
久米さんよ。

キモチはわかる…

あと、気になったのは、
「スズカ・グランプリ」と「F1レーサーの佐藤琢磨さん」
である。

別にいいかもしれないけど、
久米さんてそういうの無頓着なのか、
解ってて解りやすさを考えて、あえてそういう言葉を選んだのか
そのヘン、よくわからん。

「スズカでの日本グランプリ」
「F1ドライバー」

とかいう方が、何となく耳に慣れてるだけなのかもね。
サッカーをサッカーというのが日本とUSAくらいのモンだ
とかいうのと同じレベルかな。

めんどくさいこと言い出したら

「2002 FIA Formula1 World Chanpionship
Rd.17
JAPAN
SUZUKA」

これ、
「2002 FIFA Worldcup KOREA JAPAN」
と似てるね。

あるいは

「FUJI TELEVISION JAPANESE GRAND PRIX
SUZUKA 2002」

こんなの、TV朝日で言えるわけ無いじゃん。

上記の正式名称、下の方、スズカで買ったプログラム、まるうつし

で、
「FIA Formula1 World Chanpionship
にエントリーしているRacing Driver」

とか!?
どうでもよい話が長くなった。

どっか、つづり間違ってたら御免なさい。
見つけたらBBSまでよろしく

結論?
ニュースステーションが琢磨選手を呼んでくれたのは
とってもありがたい。

もともとF1好きな人には当然嬉しいけど、
フジの 「 すぽると 」 以外で琢磨選手の知名度を
さらに上げてくれるのはとっても嬉しい。

あと、応援している私達だって、
いつか本当に琢磨選手がポディウムの真ん中に立って、
それも何度も何度も立って
World Chanpionになってくれる日が来るのを
心から願っている。

それが、スズカで実現したらどんなにステキだろう。

初めてのタイトルをスズカで決めたドライバーは3人いる。

SENNA(’88) と、HILL(’96) と HAKKKINEN(’98) である。
あぁこれ、全部この私のHPの 「 ニンゲンの絵 」 にあるね。
と、宣伝。

そういえばね、3人の内でもっとも地味な英国人のチャンピオンね、
96年のスズカでタイトル決めた後、グランドスタンドでピット眺めてたら
奥さんのジョージーが通ったの。

残ってたお客さんがわーーってみんなで拍手して
「コングラッチュレイシヨン!」
と、思いっきりニホンゴエーゴで合唱したのだった。

奥さんは「Thank You…Thank You…」
と、れっきとしたクイーンイングリッシュで
穏やかに返事をしてくれたのだった。

素敵な光景だったよ。

(奥さんのジョージー・ヒルさんの英語に訛りがなかったかどうかは
本当の所はサッパリ。ちょっとツクリました。
サンキューだけでわかるかい。奥さんの出身、知らない。
ちなみに、マンちゃんことマンセルはマン島出身で
どえらい訛りがあるとイヂワルなプレスがよく書いていた、らしい。)

では、本日はこの辺で。



「 日記じゃないけど、なんとなく書いて見た話 」

2002、10,20

私が初めて鈴鹿へ行ったのは1991年のことだった。
中嶋 悟 選手が 引退を決めた年である。

中嶋 悟 選手の鈴鹿ラストランで、
全国がF1ブームで沸きかえっていた頃だった。

その年の日本グランプリは10月18、19、20日の
3日間 開催された。
当時は金曜から予選第1回が行われていた。

私はいろいろと都合もあって、土曜から鈴鹿に行った。

その日、初めての鈴鹿に踏み込んだばかりのその瞬間、
目の前を原チャリに乗ったアイルトン・セナが
横切って行った。

彼は、その土曜、ポールポジションを取り損ねたが、
チームメイトのゲルハルト・ベルガーが
当時のレコードタイムである1’34”700をたたき出し、
ポールを獲得した。

このレコードは昨年2001年にミハエル・シューマッハに破られたが、
今でも鈴鹿やHONDAのファンにとって、
伝説的なラップとしてこれからも記憶に残って行くだろう。

で、今年2002年、さらに去年のレコードタイムは
同じM・シューマッハによって更新されたが、
なんだっけ、1’31”317…?
とかいう数字だった。

31秒ってナニ!?!?!?

M・シューマッハはこれで通算50回目のPP(ポール・ポジション)である。
故セナの前人未到の記録、生涯PP65回という記録に
いよいよ近づいてきた。

それはさておき。佐藤琢磨選手の予選タイムは1’33”090
あの、伝説のベルガーのタイムを、
日本人のドライバーが初めて破った瞬間であった。

翌日の決勝。
日曜の鈴鹿はなにやら異様な世界と化していた。

フォーメーションラップから鈴鹿に集った全ての人々は
黄色い琢磨選手のマシンが現われるたび、
本能的に大騒ぎしていた。

全身真っ赤っかに武装して跳ね馬旗を翻す
シューミファンも、
銀々にコーディネイトして
ハッキネンから横スライドでライコネンを応援している女の子たちも

琢磨選手に対する声援、拍手の大きさはみんな同じだった。

彼は、私達の全身全霊の思いを全て受けとめて走ってくれた。

あの感動から今日で1週間。

さらに、初めて鈴鹿に行って、夢のような世界を目の当たりにしたあの日から
今日でちょうど、まる11年である。






2002.6.30 ( 日 )

ブラジル優勝!!!

雨の中のチャンピオン。

心からの祝福を送りたい。



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≪ブラジル国旗について≫

現在のブラジルの旗には真ん中の青い円の中に、
が27個有ります。
円にかかる白い帯の中には
『 ORDEM E PROGRESSO 』 ( 秩序と進歩 ) と、書かれています。
( このアスキーな感じの旗ではそれはムリでした。)

が、私はブラジル国旗を大きいのと小さい手旗と二つ持ってますが、
その両方とも☆は23個しかありません。4個足りません。

なぜだ!?

ある本で、その理由が分かったのですが、
私の旗は1991年に買ったものだったからです。

が27個になったのは1992年からの事だそうです。
1992年5月に4つの洲が誕生して、
を4個追加したそうです。