「 日記じゃないけど、なんとなく書いて見た話
」
2002、10,20
私が初めて鈴鹿へ行ったのは1991年のことだった。
中嶋 悟 選手が 引退を決めた年である。
中嶋 悟 選手の鈴鹿ラストランで、
全国がF1ブームで沸きかえっていた頃だった。
その年の日本グランプリは10月18、19、20日の
3日間 開催された。
当時は金曜から予選第1回が行われていた。
私はいろいろと都合もあって、土曜から鈴鹿に行った。
その日、初めての鈴鹿に踏み込んだばかりのその瞬間、
目の前を原チャリに乗ったアイルトン・セナが
横切って行った。
彼は、その土曜、ポールポジションを取り損ねたが、
チームメイトのゲルハルト・ベルガーが
当時のレコードタイムである1’34”700をたたき出し、
ポールを獲得した。
このレコードは昨年2001年にミハエル・シューマッハに破られたが、
今でも鈴鹿やHONDAのファンにとって、
伝説的なラップとしてこれからも記憶に残って行くだろう。
で、今年2002年、さらに去年のレコードタイムは
同じM・シューマッハによって更新されたが、
なんだっけ、1’31”317…?
とかいう数字だった。
31秒ってナニ!?!?!?
M・シューマッハはこれで通算50回目のPP(ポール・ポジション)である。
故セナの前人未到の記録、生涯PP65回という記録に
いよいよ近づいてきた。
それはさておき。佐藤琢磨選手の予選タイムは1’33”090
あの、伝説のベルガーのタイムを、
日本人のドライバーが初めて破った瞬間であった。
翌日の決勝。
日曜の鈴鹿はなにやら異様な世界と化していた。
フォーメーションラップから鈴鹿に集った全ての人々は
黄色い琢磨選手のマシンが現われるたび、
本能的に大騒ぎしていた。
全身真っ赤っかに武装して跳ね馬旗を翻す
シューミファンも、
銀々にコーディネイトして
ハッキネンから横スライドでライコネンを応援している女の子たちも
琢磨選手に対する声援、拍手の大きさはみんな同じだった。
彼は、私達の全身全霊の思いを全て受けとめて走ってくれた。
あの感動から今日で1週間。
さらに、初めて鈴鹿に行って、夢のような世界を目の当たりにしたあの日から
今日でちょうど、まる11年である。
|